フェーン現象によって36℃超えが続いた後、かつては飢餓風とも呼ばれる涼しい大気が流れ込み、やっと外に出かけようという気分になった。
動画やオモチャの電車が好きな息子を、実際の電車に乗せてみる。奥さんの実家が各駅停車で4駅先、片道20分の旅である。
本人はさほど感動する様子もなく、帰りも普通に寝てしまったのだけれど、これは今後の電車旅に向けての訓練も兼ねているので、いったん目的はクリアしたと言えよう。
車内で渡仲幸利『観の目 ベルクソン『物質と記憶』をめぐるエッセイ』を読み進める。柔らかい光に照らされた、一両編成のワンマン電車が茂みをかきわけていく中で、「意識は脳の外にある」というベルクソンの主張を、勝手にエスカレートさせる。
意思は意識に対して前景化する。実存の現実世界と絶えずやり取りするものは意思であり、意識はそこから少し距離を置いて、実存に含まれない可能性の現実世界に属している。
意思が生じるのは実存の現実世界に、何らかの尺度をもった複雑さが維持された場合である。この複雑さを魂と呼ぶならば、魂が宿ると、そこに意思が生まれる。さらに言えば、この意思の発生には必ずしも意識が伴わない。
当然、意思は生命を必須の条件としない。社会にせよ、自然にせよ、メカニズムが意思を呼び出し、意思はメカニズムに応える。
くだらない思いつきであり、実際に自宅に戻ってからchatGPTに批判させてみれば、いくらでも粗が出てきてしまった。
だけど、この「てんで見当違いの直感」が電車の中でもたらしてくれた、一瞬の安らぎを無視することができない。
こうした、間違ったままで実現する深い納得が、スピリチュアルに傾倒する人、陰謀論に与する人たちを、強くとらえて離さないのだろうか。
『観の目』にはそのタイトルの通り、宮本武蔵が登場する。
「仏に逢うては仏を殺せ」とは字面通りなら、あまりに血気盛んな気もするが、剣豪にとっては、藤井聡太の「将棋の神様に会ったら、一局お願いしたい」みたいなものなのかもしれない。
さしずめ自分なら、殺すまではいかなくて、頬をつねってはやめい、つねってはやめい、とあしらわれるくらいか。
「観の目つよく、見の目よわく…」というのは、先週火曜日に参加したスペースでも出てきたフレーズだった。
その時思わず「あっ、あの、最近読んでいる本にも『観の目』が出てきて、ベルクソンという哲学者が『意識は脳の外にある」と言っているんですよ!』みたいなことを口走ってしまったところ、
「意識はまあ脳の外にあるというか、対象にも、脳にも、どちらにあるとも言える」「だからその言い方を聞くと、なんだか胸がキューっと狭くなる思いがする」と言われてしまった。やってしまった…
父が70歳を手前に、生まれて初めて全身麻酔をするということで、「戻ってこれるか心配だ」などと笑いながら3日間の入院。鼻のズレを治す手術で、送迎を担当する。
帰りしな、入れ違いで買い物に出た奥さんからLINE、「家の周りを放し飼いの柴犬がウロウロしているから気をつけて」
今どき野良犬なんて珍しい、と思ったが、柴犬と聞くと、3頭くらい近所を散歩している候補がいる。もしかすると、近所のおじさんのとこのワンコではないか?という話をして、警戒しながら駐車場に車を停めて降りてみると、
やはりおじさんのとこの錆色の入った毛並みのいい柴犬ちゃんが、さも我が家の飼い犬のような顔をして、自宅マンションの前から出迎えてくれた。
これまで数回、息子の散歩時におじさんと挨拶して、ちょっと構ってもらったりしただけだけど、もしかして覚えられているのか?と思い、ためしに抱きかかえてみると、ずいぶん慣れた様子で、大人しく抱きかかえられてくれる。
そのまま、おじさんの自宅があると思われるマンションに入る。途中何かを踏み鳴らしてしまいビックリしたワンコが多少暴れるが、抱っこは維持できた。
ドアに「犬」のシールが貼られた部屋のチャイムを鳴らしても反応がない。
心配がよぎったところで後ろから「勘弁してくれ〜」という声とともにおじさんが階段を登ってきた。犬を探して途方に暮れて戻ってきたところのようだ。よかった!何事かアワアワと挨拶しながらワンコをお渡しして、そそくさと帰る。
自宅に戻り、奥さんに無事解決した旨を報告して、仕事を再開したが、なんだかこれも全然筋違いだとはわかっているんだけど、なぜか自分がわけもわからず泣いてしまった。無事に戻れて本当によかった。おじさんは、おじさんというよりはおじいさんだった。
そんな犬のご縁?もあってか、金曜日、数年ぶりにイラスト仕事の依頼が来る。犬用グッズの販売元から、かつて制作したショップカードのデザインを更新してほしいとのこと。
6年前の前回は、まだアナログで制作していたことを納品データで確認し、ああ〜俺はそういえば、イラストレーターなのだった…という奇妙な感慨にふける。
だけど生活できなかったじゃないか。
友達のめんどくさがっている事務仕事を、代わりにやってあげるほうが、ずっと社会に貢献している感じがして、ちゃんとお金ももらえて、それで生計の目処が立ったからこそ息子が生まれて、
でもまあ、たった6年か。とも思う。たった6年まわり道して、それでまたお仕事が来て、40歳。うんまあ、悪くない。